500円玉、1500kmを駆ける!


人間というのは勝手なものだ。
一度快適な思いをしてしまうと、過去には許容していたはずのことが許せなくなる。

北海道に何度も来ているライダーにとって、キャンプ場というのは基本的に無料がデフォルトになっている。


しかも綺麗に整地されたフリーサイトに、整った炊事場、清潔なトイレ、しかも温泉までついていて「無料」であっても、いつしかそれが当たり前になってしまう。

本州では駐車場一台分程度のロープで区切られたスペースに、一晩6000円も7000円も取られて、それでも「まぁそんなもんか・・」と渋々払っていたことや、初めて北海道に来た時の、キャンプ場の快適さとそのスバ抜けた安さに感激したことも綺麗サッパリと忘れてしまうものだ。

僕が愛してやまない北海道中央部の山岳地帯の中にあるキャンプ場でも、そんな例を目にした。

そこには24時間入浴可能な川原の露天風呂がキャンプ場内に作られていて、もうそれはそれは快適なキャンプ場なのだけど、料金が¥500と「北海道にしては高め」な価格設定だ。


僕がとある夕暮れ時にそのキャンプ場の受付に辿り着くと、ちょっと前に到着したライダーが「ちっ!何だよ・・ここ金取るのかよ」と毒づいていた。


彼も「キャンプ場は無料で当たり前」という悪しき北海道病に罹患していたのだ。

気持ちは分からなくもないが、いくらなんでもその言い草はないだろう・・・ちょっとささくれた気分でいたところに、オフロードバイクに乗ったソロツアラーが受付にやってきた。


彼は僕に「こんにちわー」と挨拶すると、集金箱を見て財布を出す。そして途端に困惑しだした。

「しまったー」と心底困っている様子だ。

「どうしたの?」と僕が聞くと、彼は「細かいの持ってないんですよね・・・」とサイフの中をひっくり返している。

両替しようにももうその時刻には管理人さんはいないし、そこはかなりの山奥なので自販機も商店も何もない。
何しろその当時はそのキャンプ場に着くのに、10キロ以上のダートを走破しなければいけないような立地だったのだ。

僕は「じゃあとりあえずオレが立て替えておいてあげるよ。明日の朝には管理人さんも来るだろうし、その時両替して返してもらえばいいからさ」と、料金箱に二人分の千円札を放り込んだ。

彼は「すいません。明日必ず返します」と笑った。その衒いの無い態度が逆に彼の旅人としてのキャリアを感じさせた。彼の名前はT君といった。

迫り来る夕暮れと競うようにお互いに自分のテントを設置し、食事の準備にとりかかる。その間に、お互いの自己紹介を済ませた。
T君の手順には無駄が無く、いかにも手馴れていた。


いちいち米を炊いている僕に比べて、彼は短時間で茹で上がるパスタにトマトソースを暖めてかけるだけの夕食で「ハハハ・・いっつもこんなんですわ」とまた笑った。


よく日焼けした顔に白い歯が覗く。

自然と夕食後も彼と杯を重ねることとなった。

僕の予感通り、T君はまだ20代半ばだというのに、相当に旅のキャリアを積んだベテランツアラーだった。


彼は10代の頃から、自転車、徒歩、ヒッチハイク、鉄道・・・とあらゆる手段での旅を重ね、現在オートバイという手段に落ち着いているという。


僕は弟子屈で手に入れた「牛乳焼酎」を彼に勧めながら、彼が控えめに語るこれまでの旅の話に聞き入った。

こういう時間に出会うために僕はオートバイでの旅を続けていると言ってもよい。

しかしT君は一通り話し終えるとポツンと言った。
「多分これが最後の旅になると思うんですよね」

そこには寂寥よりも、これから始まる生活への覚悟の方を思わせるものだった。
この旅が終ったら、T君は地元の四国で地に足をつけた暮らしを始めることを僕に話してくれた。


僕は「そうなんだ」と笑うと、彼のカップにまた焼酎を注いだ。

吹き抜ける夜風と、心地のよい眠気に誘われ、僕等はお互いのテントに戻った。


翌朝は素晴らしい天気だった。

朝一番でキャンプ場内の露天風呂に浸かりながら、僕は今日という一日をいかにギリギリまで遊んでいられるか?ということに想いを馳せていた。


その日はその夏のツーリングの最終日であり、僕はその日の晩には苫小牧から帰りのフェリーに乗らなくてはいけなかったのだ。

ちょっと長湯になってしまってテントまで帰ると、T君がちょっと困った顔で僕のテントの前で待っていた。

「お早う。どうしたの?」と声をかけると、T君が言うには今朝はまだキャンプ場の管理人が顔を見せておらず、このままだと出発までに両替が出来なさそうだ・・・とのことだった。

彼のような律儀な男に「ここはオレが奢るよ」というのもなんだか不遜な気がして、僕は「じゃあさ。気が向いたらここに返しに来てよ」と名刺を一枚渡した。


T君は真っ白い歯を見せると「必ず行きますよ!」と、またあの衒いのない笑顔を見せた。

 

僕とて実際彼がわざわざ500円ぽっちを返しに来てくれるのを期待していたわけではない。


ただロングツアラーにちょっとした目標を与えるのは、何だかゲーム的な楽しみもあった。


それにそのせいか、夏が終わり、すっかり日常生活のペースに取り込まれながらも、時々「T君は元気で旅をしているのかな?」と思い出すことは、僕をとても楽しい気分にさせてくれた。

だからある9月も終ろうかという日の夕刻に、あの真っ黒に日焼けした笑顔が僕の店に現れた時に僕はもう嬉しさに抱きつかんばかりの気分になったのだ。

「いやーーー捜しましたよー!!ワハハハ!ホントに返しに来ましたよ」とT君は大声で笑った。
そして笑いながら財布を出して中身を見ると、「いけね・・」と顔をしかめると慌てて店を出て行ってしまった。

僕が何事かと呆気にとられていると、T君は小さな紙袋を抱えて店に戻ってきた。

「ハハハ・・・今財布見たら、500円玉切らしてたんで隣のモスバーガーでこれ買ってきました!一緒に食いましょうよ」と袋の中のケーキを僕に見せた。

「おいおい・・それじゃあオレが貸した500円以上の金を使わせちゃってるじゃん・・」と僕は苦笑しながらコーヒーを入れた。

二人分のコーヒーをテーブルに置くと、僕は「さてと・・」とその後のT君の旅の話にジックリと耳を傾けた。

一通り話しを終えると彼は、「じゃあ今から適当に野宿の場所でも探しますよ」と言って立ち上がり、「いけね、また忘れるところだった」と笑い、財布から500円を取り出すと「ありがとうございました」と僕に差し出した。
「確かに」と僕はそれを受け取る。

それは隣のモスバーガーのレジに入っていた500円玉かもしれないけど、間違いなくT君とともに北海道から1500kmの距離を駆け抜けてきた500円に違いが無いのだ。

こんなことがあるから、僕はいつまで経ってもオートバイでの旅がやめられない。
オートバイと旅の神様に感謝。