夜を超えろ 15歳


十五歳の春。高校受験が終わり卒業式までのちょっと長い春休み。

僕は初めての一人旅に出かけた。


高校進学祝いに買ってもらった「ブリジストン・ユーラシア」という入門用ランドナー。 米軍払い下げのテント。
アメ横で買った安物のシュラフ。

詳しい事情は割愛するけれど、僕はその頃学校ではほとんど口をきかなくなっていた。

同級生にも馴染めないし、先生はほとんど全員が十五歳の僕にすら底が見える存在だった。
唯一所属していた陸上部の顧問の先生だけが「お前はそのまま行け」と言ってくれた大人だった。

この先生は、恐らく今後僕が何歳まで生きようとも間違いなく「生涯で一番僕を殴った人物」なわけだけど、
また「僕が生涯で出会った数少ない『恩師と呼べる人物』の一人」であることは間違いない。

十五歳になれば、誰が信頼できる大人で誰が見下すべき相手かは確実に見抜いている。
そのことを忘れてしまった時が大人になったということなのだろう。きっと。


一日目は雨だった。

東京湾沿いの内房の道を南下。
父親に借りたスキーウエアは、その防水性能の限界を早々と露呈し、僕は昼前にはもう全身ズブ濡れだった。

僕はどういうわけか、子供の頃から海の広さが怖かった。
雨の日は尚更だ。
だから僕は右側に見えている海を見ないように、なるべく左側ばかりに目線を向けて走り続けた。

途中で昼食に立ち寄った食堂の女将さんは、ズブ濡れの僕を見て目を丸くした。
「サイクリング?一人で?」と聞くと、何も言わずにカツ丼を大盛りにしてくれた。

この旅の途中僕は色々な大人から色々な質問をされたけれど、「一人旅」と聞くと感嘆の表情を浮かべる大人と奇異な目を向ける大人の二種類にほぼ大別された。しかし15歳の僕にはその理由まではよく分からなかった。


その晩は館山の旅館に泊まった。
約120kmの行程。

車で来た両親・弟とそこで合流した。 暖かい風呂と布団のありがたさが身に染みた。
翌日には家族はそのまま家に帰り、僕は本当の一人旅になった。

房総半島を先端でグルリと周り、途中から山沿いの道を北上するルートを取る。幸い天気は打って変わって快晴だ。

夕方に渓谷沿いのキャンプ場にテントを張る。 そこは隣接するホテルが経営するキャンプ場のようで、受付はホテルのロビーだった。
ホテルマンは中学生が一人で自転車でキャンプをすることに、明らかに戸惑いを隠せないようだった。

キャンプ場はもちろん一人。

僕はそこで人生で初めて夜の長さを知ることになる。

晩飯は飯盒で炊いた飯と缶詰。


コンロなどは持っていなかったので固形燃料と焚き火で炊いた。


飯炊きは当然のように上手くいかず、しかたがなくキャンプ場に落ちていた鍋の中に、芯だらけの飯と缶詰の中身を水を加えて一緒に煮込み、雑炊にして食べた。

とくに美味いとも不味いとも思わなかった。

中途半端なシーズンなのでホテルにも宿泊客の気配は無く、閑散としたキャンプ場の中で一人黙々と飯をかっ込んだ。

飯を食い終わるともうやることがない。

辺りは真っ暗だけど、時間はまだ7時前だ。

上野の中田商店で買った米軍払い下げのテントは、重たいキャンバス地を二本のポールで支えているだけの構造で、グランドシートに類するものが装備されておらず、僕は地べたに花見の時に下に敷くようなレジャーシートを敷き、その上にシュラフを直接敷いた。


キャンプにはマットが必要・・・という知識が無かった。

ラジオも文庫本もランタンも持っていないので、しかたがなくシュラフに潜り込む。

いくら一日中自転車を漕いでいたとしても、7時に眠れるわけもない。

僕はシュラフにくるまりながら、家で団欒しているであろう家族のことを考えた。


今頃は「まんが日本昔話」を見ながら食事でもしているに違いない。


それはなんだかとても不思議な感覚だった。

そして十五歳の少年にとって、夜は圧倒的に暗くて長かった。 その上寒かった。


アメ横で売っていた自称「羽毛シュラフ」は羽毛のくせに7千円という激安価格で、羽毛の感触よりもガサガサとしたフェザーの感触の方が圧倒的に勝っており、そして何よりも全然暖かくなかったのだ。

僕は安物シュラフにくるまってガタガタと震えながら、いろいろなことを考えた。
時間は無限にあるように感じられた。

馴染めない学校のことや、これからの高校生活のこと。
そして十五歳なのだ。そのほとんどは好きな女の子のことを考えていた。

彼女は僕よりもよっぽど成績がよかったので、県内でも1・2を争う進学校へと進むことが決まっていた。


最後に彼女と話したのはいつだっただろう?
卒業式を2~3日前に控えた日のことだったな。

その時彼女は「藤森クンは高校でも陸上続けるの?」と聞いた。「分からない」と僕は答えた。
走ることは嫌いじゃなかったけど、高校に入った後も続けるかどうかは本当に分からなかったし、あまり考えたこともなかった。

彼女は多分高校でもテニスを続けるのだろう。
一つのことを、着実に継続していくことはとても彼女らしいことのように僕には思えた。

あの子は今の僕を見てどう思うのだろう?
みすぼらしく思うだろうか?逞しく思うのだろうか?
自意識過剰な十五歳はそんなことをグルグルと考え続けた。

それでもいつの間にか眠りに落ちた。

時々目が覚めて枕元に置いた自転車用のバッテリーランプで腕時計を照らす。
その度に時間は2時間程度しか進んでいなかった。
まるでこの夜は永遠に続くかのような錯覚を覚えた。

夜中に物音と生き物の気配で目が覚めた。

犬のものらしい息遣いと、僕が晩飯を作った鍋を嘗め回すカタカタという物音。
野犬でも来ているのだろうか?
ボンヤリとそう考えながらもまたうつらうつらと眠った。

明け方にはこんな夢を見た。

 

テントの周囲で5~6人の大人の男の声がする。


「おう。ここだここだ」と僕のテントを発見した一人が近づいてくる。
僕がじっと息を潜めていると、「ここで何してる?」とテントの入り口を開けられて詰問される。


そこで目が覚めた。あまりにリアルな夢だった。

 

そこでテントの中に明るさを感じた。
ようやく朝を迎えた。

 

それは僕が生まれて初めて一人で迎えた朝だった。

 

昨晩犬が嘗め回した(と、思われる)鍋で朝飯を作る。

その日もいい天気だった。
僕は荷物をまとめると家に向かってペダルを踏んだ。

最終日のことはほとんど憶えていない。


無理やり自転車に括りつけたキャンプ道具がしょっちゅう荷崩れを起こすのに辟易しながら、車でいっぱいの幹線国道を家に向かって走っていたことだけが印象に残っている。

2泊3日の初ツーリングのことで明確に憶えているのは、あの夜の長さのことがほとんどかもしれない。
30年以上の歳月を経た今でもそれだけはハッキリと記憶に残っている。

本当の夜はとても暗くて長い・・・というごく当たり前のことを知ったというだけでなく、どうしようもなく肥大化してくる自我と自立心をもてあまし始めた少年にとっては、渇望している自立というのは、そういう暗くて長い、孤独で寒い時間を伴うものだということを知らしめられ慄然としたのかもしれない。

また、あれほど自立を求めながら、あれほどまでに学校や家庭を疎ましく思いながらも、一人っきりの夜に僕はどうしようもなく家族や友達を恋しく思い、同時にそういう自分の弱さをどうしようもなく呪った。

もう一つ憶えてることは、これから僕は何度もこういう夜を過ごすだろうな・・と思ったことだ。

すっかり大人になったけど、相変わらず僕はキャンプの夜を長く感じる。

装備は当時とは雲泥の差だけれども、一人テントの中でシュラフにくるまってあれこれ考えている時間は十五歳の時とそれほど変わってないようにも思えるし、 そう思えるのは多分悪くないことなのだ。

そして僕はこうも思う。

果たして今56歳になった僕は、あの時の15歳の僕に「信頼できる大人」として映るのだろうか?と。
今現在、僕を取り巻くありとあらゆる有象無象の人間関係の中にあっても、その問い掛けは僕を最も緊張させずにはおれない。

15歳の僕は真っ直ぐ僕を見つめるだろう。

 「お前は間違ってない。そのまま行け」

そう言えるような大人になっているのか、僕は常に自分に問いかけ続ける。

あの長くて暗くて寒い夜を一人で越えた時に、そのための第一歩を歩み始めたのだ・・と僕は思っている。