布団ライダー登場!


北海道で会う若いライダーの体験談ほど面白いものはない。
若い男というのは、古今東西大体がバカだ。愛くるしいほど無思慮で無頓着だ。

若い男はエネルギーはあるが、往々にして金が無い。想像力もあまりない。

本州がいくら盛夏だとは言っても、これほどネットが普及している世の中だ。
ちょっと調べれば北海道の気温が真夏でも本州の5月並だ・・・なんてことはすぐ分かるはずなのにそういうことへの思慮が絶対的に不足している。

ある年の夏の北海道でのこと。


僕は行き着けのキャンプ場でとある若いライダーと親しくなった。
正確に言うのならば、前日開陽台で一緒だったライダーとそのキャンプ場で偶然再会し、その彼がその時一緒に飲んでいたのが件の若者だったのだ。

自然3人で酒を酌み交わすことになった。

若者はしきりと北海道の寒さを嘆いていた。
彼は大阪から下道を少しずつ北上しながら北海道へと上陸したとのこと。
本州はもちろん猛暑の中なので、むしろ暑さに耐えながら寝るのが大変だったが北海道へ来てみたらなんですかコレは?
ムチャクチャ寒いじゃないですか!と半ばキレかかっている。

「あ~でも大体こんな感じだよねぇ。オレも最初来た時はビックリしたけど」と僕はフリースの前をかきあわせながら同情した。

しかし若者はちょっと得意気な表情になるとこう言った。

「でもね。もう大丈夫ッスよ。昨日布団買いましたから

「へ??布団??シュラフじゃなくって??」と僕ともう一人のライダーが顔を見合わせる。

「え?シュラフって何スか?」と若者。

「何スか・・・ってキミ・・今までどうやって寝てたの?」

「どうって・・・テントの中で横になってですけど・・」

僕等は彼のテントを見せてもらった。

どういうわけだか一人旅のくせに不必要にデカい。
ファミリーテントのようにデカい。どう考えても4~5人用だ。
恐らくホームセンターで安売りでもしていたのだろう。

その無意味に広々としたテントの中に、ペナッペナの夏用肌かけ布団がペランと一枚敷かれている。

僕は愚問と思いつつ聞いてみた。

「マットは?」

「マットって何スか?」

いや予想通り。

僕はもうその時点で爆発しそうになる笑いをこらえながら、自分のテントからシュラフとマットを持ってきて彼に見せてあげた。

「えーーっ??何スかぁこれ!!??こんな便利なものがあるんですか?」と彼は目を丸くしている。

どうやら彼は「キャンプ」というのは「テントで寝ること」という以外の知識はなく、それに付随して様々な用品が世の中にはある・・・ということを全く知らなかったようだ。


と言うか知ろうともしていなかったというのが正確なところだろう。

昼間は適当に走って、夜になったらその辺にテントを張ってタンクトップとジーパンのままテントのグランドシートにゴロリと横になって寝る。


どうやらそういうスタイルが彼にとっての「キャンプ」という概念の全てであり、且つそれで特に不自由を感じなかったらしい。


何しろテントを積んでのツーリングも、一週間を超えるツーリングも全く初めてなのだ。
誰が彼を責められよう?

恐らく友達に「北海道ならキャンプじゃね?」とか言われて「そうか」とテントだけ買ってウキウキと旅に出てきてしまったのだろう。

彼は僕のシュラフとマットをさも「感に堪えません」という表情で眺めていたと思うとこう聞いてきた。

「あの~・・このシュラフってヤツはどこで売ってるんですかね?」

「うーん・・・今の時期ならホームセンターとかにも売ってると思うけど」と僕。

「そーかぁシュラフかぁ」と何だか彼は楽しげだ。

そんな会話で夜が更け、僕等はそれぞれのテントに帰って寝た。もちろん彼は例のデカテントに潜り込んでいった。


翌朝僕はちょっと早く目が覚めてしまった。


まだ周囲は明けきっておらず、テントから外を覗くとまだ蒼黒い空に星がまたたいていた。
息が白い。

ブルっと震えてシュラフに入りなおした僕は、このまま起きてしまうべきか、二度寝するかしばし逡巡した。
5分ほどそうしていたが、段々と目が冴えてきたので僕はキャンプ場の中にある温泉へ朝風呂をもらいに行くことにした。

プラプラと歩いて2~3分の露天風呂に向かうと、何やら人の声がする。


どうやら先客がいるようだ。


先客はしきりと「うぅ~寒い!」と一人でブツブツと言っている。


よく見ると昨晩の「布団ライダー」だ。


「よ~お早う!」と声をかけると彼は
「あ!お早うございますっ」と元気に挨拶するとまくし立てるように喋りだした。

「いやー!やっぱ寒くて目が覚めちゃいましたよ。そんで耐え切れずに風呂入りに来たんですよ!やっぱ布団はダメっすねぇ。やっぱシュラフっすよシュラフ!」

「あ~確かに夕べは冷えたよねぇ」

「ホント寒くて寝れなかったッスよ。オレ今日シュラフ買いに行きますよ!」

「ああ、それがいいかもしれないねぇ」

僕はもう笑いを堪えるのが限界に近づいていた。


誤解しないで欲しいのは、僕は決して彼の無知を笑ったわけでも見下したわけでも、ましてや「無謀なヤツめ」と説教がましい気分になったわけでもない。

僕は彼が眩しかったのだ。

僕は高校時代山岳部に所属していたので、「アウトドア」とか「キャンプ」などの知識はごくオーソドックスな段取りを経て身につけていった。

 

だからオートバイでのツーリングを始めた時に、キャンプツーリングのスタイルを好んだのはごく自然なことだったし、そのノウハウで困ったことも迷ったこともあまり無かったのだ。

 

しかし今僕の隣で「よーっし!シュラフ買いに行くぞー!」と意気込んでいる彼を見ていると、僕はそういう知識と引き換えに何か貴重な体験をしないまま青春時代を終らせてしまったような感覚を拭い去れないでいたのだ。

当の彼にそんな自覚はないだろう。


ただただ寒さに震えているだけだ。


しかし恐らく彼が20年後に今日のことを思い出した時には、何がしか苦笑いとともに宝石のような愛しい感情を抱かずにはおれないのではないか?と僕は思うのだ。

それはゴアテックスのジャケットと羽毛製のシュラフと引き換えで僕が失ってしまった感情に他ならない。

そんな僕の思惑など全く気がつく様子もなく彼はこう聞いてきた。

「ところでシュラフって幾らくらいするんスかねぇ?1000円くらいで買えますか?」

僕はここで限界を超えてしまった。
顔を伏せて笑いを必死に噛み殺しながら

「うん。そうだね。買えるといいね」
そう答えるのが精一杯だった。


その後出発する彼を見送った。

彼の荷物は一ヶ月を超えるツアラーとは思えないくらい少なく、小ぶりなサドルバッグの上に例の巨大なテントを括りつけているだけだ。
しかもそのサドルバッグの片方一杯に問題の布団を丁寧に畳んで押し込んでいる。

「じゃあ気をつけてね。いい旅を」と見送る僕に彼は「ハイ!」と元気良く返事をするとオートバイをキャンプ場の外へと向けて走り出した。

彼は無事シュラフを手に入れることが出来ただろうか?早まってあの薄っぺらい布団をどこかに捨てたりしていないだろうか?

テントを撤収する前にコーヒーをもう一杯いれながら僕は彼の旅の幸運を祈った。

今日の道東は雲ひとつない青空だ。


目の前の湖面に魚が跳ねる音と波紋が静かに広がっていった。