何もしない夏


あれは30歳を一つか二つ超えた頃か?というある年の梅雨のこと。

 

僕はかなり大きな失恋をした。

 

僕はこれまでの人生で関わった女性には皆、限りない感謝の気持ちを惜しみなく持っているのだけれど、やはりそれは「均等に」とはいかない。

想いの大小というのは避けがたく存在し、結果的に失恋の際のダメージもそれに規定される。

 

やはり付き合いも長く、深く、相手への思い入れが大きければ大きいほど失恋の痛手も大きくなる。

 

そういう意味では、その年の梅雨に身に降りかかった失恋は、これまでの人生でワースト3にランクされるほどのダメージだった。

 

30歳前後という年齢もよくなかった。

 

一般的な人生設計では、その年代の男女のお付き合いには結婚というものが視野に入ってこざるを得ない。

それは男女の付き合いを確実に複雑化させるし、タイミングを誤ると簡単に破局が訪れる。

 

「結婚するつもりだったのに・・・」という(多くの場合男性から発せられる)「言い訳」は大抵の場合女性にため息しかつかせない。

「今さら」「遅すぎる」「その場しのぎにしか聞こえない」・・・

 

そういう女性の「声にならない呪詛」を僕は人生で初めて聞き、そしてそういう局面での女性の心地いいまでの潔さも初めて知った。

 

つまり僕はその年の夏を、かなり深く傷つきながら過ごさなくてはならなくなった。

 

 

 

そのダメージから(たとえ一時しのぎにせよ)逃れるため、僕はまずオートバイを買い替えることにした。

 

その頃僕は、スズキのDR 250Sというトレールバイクに乗っており、その失恋とは関係なくそろそろ買い替えを検討している時期だった。

 

正直その当時のDRは、オフロードブームの中にあっても商業的に成功したとは言い難く、4ストロークトレールバイクの絶対的存在であった、XRの牙城を全く崩せずにいた。

 

しかしそろそろ他メーカーの巻き返しも本格化しつつあり、ヤマハTT、カワサキKLXの登場に続いて、スズキDRもフルモデルチェンジの噂が聞こえ始めていた。

 

3年半で走行距離も4万キロを超えた僕のDRは、林道やエンデューロレースにも酷使したせいで正直かなりボロボロで、僕はその新型DRを次期購入モデルの筆頭候補に据えていた。

 

実際満を持して登場した新型DRのポテンシャルは目を見張るものがあり、試乗会で乗った直後にはもう行きつけのSBSのスタッフさんに購入の約束を告げるほどだった。

 

旧型のオーナーにとっては「現行モデルの悪いところが全て解消されている」と感じるほどの完成度だったのだ。

 

しかし例の失恋で、僕は全ての約束を反故にした。

 

自分勝手なのは重々承知のうえで、僕はSBSに頭を下げに行った。

 

「本当に申し訳ないのだけど、車種を換えたいんです。スズキのお店で頼むのは申し訳ないのですが、ここで買いますのでヤマハのSRを引っ張ってきてはもらえませんか?もちろんお店にきちんと利益の出る価格を言ってもらえれば、その言い値で買います」と懇願した。

 

今ほどメーカーの縛りもきつく無く、メーカー系列店でも他メーカーのものを割と容易に引っ張ってはこれた時代ではあったけれど、やはりこれはお店にしてみれば困惑する頼みだったに違いない。

 

しかも一般ユーザーならともかく、端くれとは言え「業界の人間」がそんな無理を言ったのだからなおさらだ。

 

それでも長い付き合いの店長は、苦笑しながらも快諾してくれた。

 

「車種を換えるのはいいけどさ。その宗旨替えはどういう風の吹き回し?オフロードからSRなんて」と、店長さんはそちらを訝しがった。

 

「失恋で頭がおかしくなってるんです」などということは当然言えず、「あ・・前から気になってたんです」と適当にその場をごまかした。

 

それにSRというオートバイが気になっていたことは紛れもない事実でもあったのだ。

 

とにもかくにも僕は一刻も早くSRで現実逃避をしなくてはならなかったので、会社の総務部で管理してもらっている財形貯蓄の解約を総務部長に依頼した。

 

財形貯蓄はちょうどSRの車両代くらいには貯まっていた。

 

総務部長には「いいか?これは住宅財形貯蓄であって、ちょっとしたお小遣いとは違うんだぞ?ウチのメインバンクに嫌な顔されながら解約するオレの気持ちにもなれ」と嫌味を言われたが、僕としては「失恋で頭がおかしくなっている」という正当な理由があるのだ。

 

全てを右から左に流した。

 

そうしてヤマハのSR400は僕の元にやってきた。

 

95年式。SRの長い歴史の中では「Ⅱ型」に分類される。

シリーズ中ステップが最も後退しており、折りたたまないとキックが踏み下ろせなかった機種だ。

 

ほとんどヤケクソになって購入したSRだけれども、実際に手元にやって来ると、それはやはりため息が出るほどに完璧に美しいオートバイだった。

 

僕はその頃、駐車場も駐輪場もない安アパートに住んでいたのだけれど、夜中に時々アパート前に路駐したSRを眺めるためだけに外に出た。

街頭に照らされる、紺と白に塗り分けられたのタンクは実に艶めかしく、僕はそんな時は時間の経過も忘れるほどに魅入られるのだった。

 

 

 

その頃から僕は、毎年夏になるとオートバイでの長旅をするのが習慣だったのだけど、やはり例年ほどはテンションが上がらずに、キャンプ道具をSRのリアシートに括りつけると、あまり目的も無いまま西に向けて走り出した。

 

とりあえず、以前岡山に赴任していた時によく訪れた温泉に行ってみることにした。

それ以外の目的も計画もまるで思い浮かばなかった。

 

車のほとんど通らない中国道をひたすら走り、僕は初日の夕方に目的地の温泉に辿り着いた。

SRはけっして「長距離を楽に走れる」オートバイではないけれど、それでも心地の良い単気筒の鼓動に身を任せていると、思いのほか苦も無く距離を稼げることを発見した。

 

中国山地の山中にあるその温泉は、温泉の規模こそそれほど大きくないものの、温泉街の奥にあるダム直下にある露天風呂が有名で、そこを目当てにした湯治客が多く訪れていた。

 

温泉街を抜けた道は、ダムで行き止まりとなっており、車の回転場を兼ねたそのちょっとした空間には何十台もの車が路上駐車していた。

 

もう僕はその場所には30年以上訪れていないので現在の状況は分からないけれど、恐らく現在はこんな牧歌的な行為は今は許されてはいないだろう。

 

人々は、軽バンなどに家財道具を積んでそこに寝泊まりしながら数日湯治して過ごしていた。

まだ「車中泊」とか「ソロキャン」などという軽薄で恥ずかしい言葉も無かった時代。

 

皆自分の車の横にテーブルなどを設え、ガスコンロで自炊していた。

そこには「レジャー」とか「アウトドア」などの要素はほぼ介在せず、ただただ安価にその温泉を楽しむための合理的手段でしかなく、そのに集っている人々は、旅行者というよりも、聖地に向けてキャラバンをしている巡礼者と言った方がその実像に近かったかもしれない。

 

僕はそんな立ち並んだ車と車の間にスペースを見つけるとテントを張った。

 

一通り準備を終え、さて、食事はどうしようか?と思案していると早速隣の家族連れから声をかけられた。

 

「兄さん、一緒にご飯食べないかい?」

 

家族連れは三世代からなる構成で、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、お父さん、お母さん、そして小学生の娘という5人組だった。

 

僕はもちろんご相伴にあずかることにした。

 

一応礼儀として、近くの自動販売機で人数分の飲み物(大人にはもちろんビール)を差し入れた。

 

お祖母ちゃんとお母さんが作る手料理に舌鼓をうち、食事後はゆっくりと温泉に入り、テントに戻ると、家族連れの女性陣は皆車で寝静まり、お祖父ちゃんとお父さんが差し向えで飲んでいた。

 

僕の姿を見つけたお祖父ちゃんが「どうや?兄さんも一杯飲んでいかんか」と誘ってくれる。僕に断る理由は無い。

 

真夏のことだけど山間部の夜風は涼しく、僕は焼酎を飲みながら、大先輩の一代記を聴き入る。

夜が更けると、早くも秋の虫の声が聞こえ始めた。

 

こうして歳の離れた男性と酒を酌み交わしていると、なんとはなく「一人前の男」に扱われているような面映ゆさも同時に感じる。

 

実に心地いい時間を過ごした後、まだ飲み続けるお父さんたちに挨拶すると僕はシュラフに潜り込む。深い眠りはすぐにやってきた。

 

朝、テントに刺す光を感じるのと同時に隣のお祖母ちゃんがテントを覗き込んだ。

 

「兄さん起きたかい?朝ご飯出来てるよ」

 

当たり前のように僕は食卓につく。

 

するとお祖母ちゃんが感心したようにこう言った。

 

「お兄さん偉いねぇ。昨日遅くまでテントの中で勉強して」

 

勉強?

 

一瞬何のことか分からなかったけど、僕が夜テントの中で本を読んでいるのを、トイレか何かに行く時に見かけたらしく、そのことを「勉強してる」と思われたようなのだ。読んでいたのはミステリーだったのだけど、お祖母ちゃんにとっては「本を読んでいる」ことイコール「勉強」ということになるらしい。

 

お祖母ちゃんは何度も「偉いもんだ」と感心しながら僕の食器にご飯をよそってくれた。

 

僕は面映ゆくもありながら、この家族の素朴さとやさしさにあらためて温かい気持ちになった。

 

 

 お父さんに「兄さん今日はどこかに出かけるのかい?」と聞かれたが、僕には全く予定が無かった。

 

それで僕は「まぁ大山の方でも行ってみます」とだけ答え、実際朝食を終えると、テントはそのまま張りっ放しにしてSR を北に向けて走らせた。

 

地図を頼りに大山の周遊道路を走り、そのまま何となくの思い付きで海に出ることにした。

 

海辺を走り、小さな海水浴場を見つけ、その砂浜でぼんやり海を眺めていたのだけど、小さな海水浴場とは言え、水着の若い女性が海水浴をしているところで、ライディングウエアの男がウロウロしているというのも居心地が悪く、早々に引き上げた。

 

僕はキャンプ地に戻りがてら、昼食を採るところを探したのだけれど、(当時の)山陰の国道沿いには食事が出来るところが皆目見当たらなかった。

 

ようやく見つけた、ファミリーレストランと喫茶店の中間くらいのお店に飛び込むと、近隣に他に店が無いからなのか思いのほか混んでいる。

 

その割にお店のスタッフは2~3人しかおらず、その2~3人がフル回転で働いてもまるで追いつかないようで、お店に入ってから注文を取りに来る間にたっぷり30分かかり、そこからハンバーグ定食が出てくるまでにさらに一時間かかった。

 

全く急ぐ旅でもなかったし、逆に何だか僕はそのあまりにのんびりした時間の感覚が面白く、ただただ漫画を読んで食事が出てくるのを待った。

 

食事を終え、キャンプ地へ向かう途中睡魔を感じた僕は、峠の下り道の脇に東屋とベンチがあるのを発見して、そこで休憩していくことにした。

 

夕方になって気温が下がってきたのか、ベンチを吹き抜ける風が心地よい。

 

数ページ読書をして、心地の良い午後寝を楽しんだ。

 

キャンプ地に戻ると、例の隣の家族が当たり前のように「兄さん、今日はカレーだよ」と声をかけてきた。

 

僕も当たり前のように食卓に着き、当たり前のようにカレーを食べ、その後は昨晩と同じく、温泉に入り、その後男だけで飲んだ。

 

 

 休日はあと二日残っていた。

 

でも僕はもうその時、「何かをする」という考えを完全に捨て去っていた。

 

特に行きたいところも見たいものもないのであれば、何処かに行ったり無理に何かを見に行く必要もない。

 

それよりも僕は、この日の昼食に立ち寄ったレストランで2時間半も漫画を読みふけった時間の、思いもよらないリラックスした感覚に新鮮な驚きを覚えた。

 

せっかくのロングツーリングの途中で、(不可抗力とは言え)喫茶店で漫画を読みふけって過ごすなんて・・・

 

しかしこの背徳感すら覚える行為が、その時の僕にはかなり蠱惑的な誘因力をもって迫ってきた。

 

もう一人の僕が耳元で囁く。

 

「もういいじゃん。明日も喫茶店で漫画読んで過ごしちゃえよ」

 

僕はその声に素直に従うことにした。

 

旅三日目の朝、お隣家族と朝食を済ませると、僕はキャンプ地から10km程度しか離れていない(前日から目星をつけていた)喫茶店に迷わず入り、夕方までひたすら漫画を読みふけった。

 

主に小林まことの「柔道部物語」には心底没頭した。

 

お昼ご飯もそのお店で食べたけれど、ランチとコーヒーだけで8時間近く滞在する客はさぞかし迷惑だったに違いない。

 

夕方テントに帰り、何の遠慮もなくお隣家族から晩ご飯をご馳走になり、それまでの二日間と同じく夜風に吹かれながら男だけで飲んだ。

 

 

 四日目、朝ご飯を頂いた後にテントの撤収作業にかかる。

 

お隣の家族もこの日には家に帰るようで、片づけをしている。

 

「すっかりお世話になっちゃって」と声をかけると、「また来年も会いましょうよ」とお祖母ちゃんは笑って言ってくれた。

 

最寄りのインターチェンジまでの道を、この家族の軽バンと並走して走った。

 

インターチェンジの分岐点でそれぞれの方向に分かれる時、車の中から小学生の娘さんが大きく手を振ってくれる。

僕は真夏の太陽に目を細めながら、負けじと大きく手を振り返した。

 

 

結果的に言えば、僕は買ったばかりのSRで山陰まで行きながら、温泉に入って、初対面のご家族に三泊四日食事をご馳走になり、あとはひたすら漫画を読んだだけの旅だった。

 

しかし僕は思いのほか充足していた。

 

 

僕は、もう30年以上夏の長旅を欠かさない生活を送っているけれど、この夏だって「他の夏と全くと劣らない」夏だったのだ。

 

 

連日朝から晩まで自転車を漕ぎ続け、キャンプ場でビールを飲み干したらあとは死んだように眠るような旅の充足感も、全く何もせずただただ漫画を読みふけった今回の旅の充足感も、そこに優劣などは存在せず、「その時僕がそうしたかったからそうした」に過ぎないのだ。

 

 自分の心の声にただ従う。

それこそが夏の正しい過ごし方であるということを知った旅でもあった。

 

 

手を振る女の子と別れ、高速へ合流する大きなカーブを曲がりながら、僕はちょっとだけ心が軽くなるのを感じた。

 

でもそれが、「頭がおかしくなるほどの失恋」からの立ち直りの兆しだったかどうかまではもう忘れてしまった。