あの日のソラニン


学生時代、軽音楽部所属の女の子と付き合ってたことがあった。

僕と彼女はアルバイト先で知り合ったので、お互いの出会いやライフスタイルの中に音楽は一切介在していない。

その当時僕はただの一つの楽器も演奏することはできなかった。

自分が出来ないことには気後れが生まれる。

そして彼女の周囲にいるのがほとんどミュージシャンである・・という事態がその気後れをさらに大きいものにした。

僕は元々が狭量な人間だ。
若さがそれに拍車をかけた。

気後れは容易に嫉妬に転化する。

彼女とは関係のない話なので気の毒な話ではあるのだけど、僕が彼女と付き合う前に振られた女の子がその後ギタリストと付き合ったりしたことも僕の「ミュージシャンアレルギー」を強いものにしていた。

そういうわけで、彼女が話すクラブでの楽しそうな話や、音楽の話はわざと流して聞くようになってしまった。
彼女もその空気を読んで、あまりクラブでの話はしないようになった。

我ながら「オレって小さい男だよなぁ・・」という自覚はあるのだけど、こういう感情は一度芽生えだすとどうしようもない。


何かの話のついでに「オレ、ミュージシャンって嫌いなんだよ。なんだかチャラチャラしててよう。ヤツら女の子とヤルことしか考えてないじゃん」みたいな(今思えば)あまりに的外れで一方的な決め付けを彼女についついてしまうこともあった。
(書いてて思うけど何で彼女はオレと付き合ってたんだろう?ww)

そんな時彼女は「またか・・・」という諦めの感情を隠そうともせずにタメ息をついた。

     ×    ×    ×    ×    ×    ×    ×    ×    ×    ×    ×    

僕と彼女の共通の知り合いにHという男がいた。

Hは大学の同級生で、軽音楽部所属のドラマーで、彼女からすれば「クラブの先輩」であり「彼氏の友人」でもある。

僕はHのことが好きだったので、彼のライブは何回か見に行ったし、僕はHがドラムを叩いているのを見るのは大好きだった。
素直に「カッコイイなぁ・・・」と思いながら眺めていた。

一緒にライブを観ていたバイト先の友人も同じ感想を持ったようで「自分が出来ないことを友達がやってるとカッコ良く見えるよね」とシミジミとつぶやいた。

そーなんだよな・・・自分に出来ないこと、そいつが得意としていること、それをやってる時の仕草や真剣な表情・・・
それは紛れもなくそいつの一番輝ける時間なわけだ。

しかしそう言った友人自身は大学のバスケ部で、夜も昼も休日もなくボールを追いかけていた。
見たことはないけど、こいつがバスケをやってる時はさぞかしカッコイイんだろうなぁと僕は思った。

それに対してオレはなんなんだ??
人がオレがやってることを見て「藤森の○○してるところってカッコイイよな」なんて思われることが一個でもあるのか??

そもそも毎日オレって何やってるんだろう??

大学にはろくろく行かずに、バイトばかりしている。


まさか皿洗いをしているオレを見て「輝いてる」などと思う人はいないだろう(いても困るけど)。
それ以外に何かやってるか?
あとはひたすら寝てるかオ○ニーに耽ってるばかりじゃないか。

ああ・・・オレって何の取り得もなければ、誰に対しても役に立ってないカスみたいな野郎なんだな・・

何かあるか?オレに??

確かにオートバイには乗っていた。


しかし寝食を忘れてレースに没頭するとか、全てを投げ捨ててロングツーリングに出かけるとか、そんな風に全身全霊を賭けた付き合いをオートバイとしているとはとても言えなかった。

漫然とオートバイに跨りながら、それ以上の関わりに対しては「オレには無理」とか「お金が無い」とかそういう、つまりは「やらない理由」ばかりを自分に言い聞かせていたのだ。

普通はそこで、何がしか「自分にしか出来ないこと」を見つけて努力するのが人としての道なんだろうけど、僕は自分に言い訳をしてそこからは逃げ出しているくせに、努力している他人に対しては言われのない嫉妬をぶつけてるんだから救いようがない。

そんなある日のこと。

Hがバンドをやめることになった。


彼のバンドはいわゆる「完全プロ志向」バンドで、Hは自分の進路について揺れていた。


Hにはもう一つ「学校の先生になる」という夢もあった。
多分他人からは想像できない程考えに考え抜いたに挙句と思われるが、彼は教師になる夢を優先した。

そのHの「引退ライブ」が行われた。

誰もが事情を知っていたし、彼は人柄から誰からも好かれていたので、ライブはとても暖かい雰囲気に包まれていた。

最後の曲の前にボーカルがこんなMCをした。


「オレはなぁ!こいつを何度クビにしようと思ったか分からないぜ!でもコイツは必死に練習して喰らい付いてきた。だから新しい場所でもきっと頑張れるよ。頑張れ!」


最初苦笑いしていたHも、MCをしたボーカルも最後は涙声だった。

最後のカウントが始まる・・・ワン・・・ツー・・・ワン・ツー・スリー・フォー・・・・

僕も涙がこみ上げた。隣にいる彼女は流れる涙や鼻水を隠そうともせず号泣していた。
もともと感受性が強い女の子だったのだ。

そしてライブが終了した。

彼女はもう感極まったという感じで「ねぇ!一緒に楽屋に行こう。H先輩に『お疲れさん』って言ってあげようよ!」と僕の手を引っ張った。

しかしそこで僕の悪い虫が出た。

楽屋なんて行ったら、全員ほとんどミュージシャンなんだろ?
しかもほとんど面識のないヤツらばっかりじゃないか?
キミは知ってる人ばかりだからいいけど、オレそんなとこに顔出すのヤダよ。
Hだって今頃みんなに囲まれてて、オレ達の相手をしている暇なんてなよきっと・・

そこで彼女は今までで一番長く悲しげなタメ息をついた。

「どうしてそんなことばかり言うの?友達なんでしょ?なんで素直に『お疲れさん』とか『頑張れよ』とか言えないの?」

それでも「オレHとは学校とかバイト先でも会えるしさ・・その時に言うよ・・」と目を伏せる僕に、彼女は逆にひどく冷静な声になってこう言った。


「あなたは結局のところ、私が『彼氏が知らない世界』を持つのが嫌なだけなのよ」


効いた。

痛かった。

だって図星だったんだもん。

彼女はそれを分かっていながら、それまで一度も僕にそれを言ったことがない。
その事実が余計に痛かった。

それでも僕と彼女の付き合いはその後それなりに続いたので、彼女の忍耐力と寛容さには今もって感謝せずにはおれない。


その後それなりに大人になって、僕はギターを楽しむことをおぼえた。
友達とバンドを組んで、スタジオで練習したりたまにささやかなライブを行ったりもするようにもなった。

 

メンバーは皆社会人だったけど、リズム隊の二人はまだ若く、社会人のくせに出身大学の軽音楽部のボックスに入り浸りだった。そんな縁で彼らの音楽仲間とも何人かお友達になった。

そうして大人になって、大学の軽音系の人間と直に付き合ってみると、彼らは彼らで見事なまでに冴えない連中だった。
大学時代にイメージした「チャラチャラしてて女の子とヤルことしか考えていない」ようなヤツは一人もいなかった。

楽器を持てばそれぞれそれなりにカッコ良かったけど、それ以外は仕事でも恋愛でもその他諸々のことは不器用で、ちっとも上手く立ち回れないような連中ばかりだったのだ。

「音楽以外には何の取り得もないくせに、その音楽で身を処せる見込みもない」とくれば、社会的存在としては遥かに「一般人」以下だ。
彼らだって劣等感や焦燥感のカタマリだったに違いない。

そもそも卒業しているくせに、大学のサークルボックスにしか居場所のないようなダメ人間なのだ(笑)。

「なんだ・・・こいつらだっておんなじじゃん」

そんな当たり前のことに、その時になって僕は気が付いた。

若い頃は誰だって悩む。焦る。嫉む。
のた打ち回ったり這いずり回ったりして出ない答えを追い求める。

大人は若者の悩みに答えを与えてやれるけれど、当の若者からすればそういう「大人が出してくれる答え」というものが「一番聞きたくもないし受け入れられない答え」なんだから自分でのたうち回るしかない。


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バンドを辞め、教員採用試験に専念したHは、結局一年目の採用試験には落ち、実家に帰って浪人しながら受験勉強に備えていた。

僕は社会人となり、夏休みにツーリングがてらHの家に立ち寄った。

Hのお母さんが作ってくれたお昼ご飯だけご馳走になると、勉強の邪魔にならないよう僕はHの家を立ち去った。
短パンにTシャツ姿のまま国道まで送りに出てくれたHが、夏の照り返しに目を細めたかと思うと、笑いながら僕にこう言ってくれた。

「バイクに乗ってるお前・・・カッコイイな」

僕はその一言で青春の呪縛と言うヤツからちょっとだけ脱出することが出来た。